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§慶應通信君と行く、慶應マンセースレ§

1 :エリート街道さん:04/04/30 15:36 ID:iGauVHxK
早稲田工作員必死だな。

596 :エリート街道さん:04/05/15 08:30 ID:4DlP2oAR
>>592->>594
東大(歴史学研究会派)と京都学派でどちらの考えが自分に合ってるのか考えたら京都学派の考え方が自分に合ってると思ったから京都学派が好きだよ。
大学は九州の国立だけど、先生が京大出身だったんでその影響でしょ。
東大と京大の歴史観については戦後は通信君の言うことと大きく違います。
45年の敗戦後、東大は「中国停滞論」を戦前から考えていたところに敗戦。呆然としているうちに中国革命が成功。
そういうなかで、戦後は「中国停滞論」を打破すべく研究が始まったのです。
契機となったのは東大の前田典明の「東アジヤに於ける古代の終焉」という論文で唐代以後を中世とし、宋の「佃戸」を西洋におけるフェーダリズム・封建制とする考え方です。
京大はそれに対して「佃戸」は西洋の農奴のような存在じゃないことを証明しようとして、宋代以後を近世の始まりととらえています。これが一番の違いです。
高校の世界史の教科書見てください。宋代佃戸については決着が付いてないんで曖昧な書き方しかできてないはず(です)
ちなみにこれらの論文は内藤湖南全集・古い岩波講座の世界歴史(前田)で簡単にみれます。



597 :エリート街道さん:04/05/15 08:30 ID:4DlP2oAR
通信君は歴史学者は出なかったといってますが、個人的には「宮崎市定」は20世紀最大の中国史家であったと思います。
日本で最大と言うことは中国研究に置いては世界一なんです。
今後、宮崎以上の人は出ないと思いますが。宮崎・西嶋が出なくて津田がでるあたり戦後の研究動向にはちょっと疎いのかもしれないと言う印象を受けました。
これは哲学だって一緒で、ある一派を作れる思想家って言うのは日本では西田が有名で後は先人の哲学の研究にあたってると言う状況だと思いますが。
史料の編纂と言うことで言えば中国古代は「史記」「漢書」「後漢書」「三国志」くらいのものだったのが明清あたりから莫大な数になります。
宮崎の「雍正朱批諭旨」の研究とか読書人層の文集やその地域の「地方史」の研究で時代が新しくなるほど史料は増えるものです。清になると新聞であった「申報」も史料になります。
こういう史料って言うのは科学で言う基礎科学なわけでそう言う整理がないと一級の資料も埋もれたまま、と言う事態になると思いますが。

文学部史学であれば史料の読み方・工具の使い方以外は講義に出なくてもいいです。
後は自分で勉強できるから。個人的に思うのは通信だと(歴史に限らず)学術誌やそれに引用された論文読むことができない、ってのが大きい気がしてますね。


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